日本の競馬の歴史1

私たちの暮らす日本には公営ギャンブルが幾つか存在しています。競艇、競輪、オートレースといったところが代表的ですが、恐らくこれら公営ギャンブルの中で最も人気が高く、私たちの生活にも深く根付いているのが競馬ではないかと思います。日本各地には競馬場があってレース開催日にレースが開催されて多くの観客を集めるのみならず、勝馬投票券は多額の売り上げを誇っています。テレビやラジオの他に、最近ではインターネットでも競馬のレースの模様が中継されています。また競馬を題材にした小説や漫画、ゲームなども多く発売されており、私たちの生活に競馬が深く結びついていることが伺えます。
そんな競馬ですが、皆さんは日本での競馬の歴史についてはご存知でしょうか。競馬は身近な存在の割には、その由来や歴史について知らない、という人も多いでしょう。今日は日本における競馬の歴史を紹介していきます。
現在日本で実施されているもので、私たちが普通に競馬と呼んでいるものは洋式競馬、近代競馬と呼ばれるものです。徳川幕府は17世紀以来鎖国を実施してきましたが、江戸時代末期になってアメリカ合衆国等の圧力によって鎖国が解かれ、開国がなされたことは皆さんも歴史の授業等でご存知だと思います。そんななか開国後早くから外国人向けに開放されていた横浜に外国人居留地が設けられました。そこで行われた居留地競馬と呼ばれる競馬が、日本の歴史上最初に行われた洋式競馬とされています。現在、資料によって確認できる、日本最古の居留地競馬は、1860年に現在の横浜市中区元町において行われた競馬です。当時日本に滞在する外国人たちの希望を叶えるため、幕府によって行われたのがこの居留地競馬です。更に翌1861年には居留地内の海岸を埋め立てて造成し、土地馬場が建設されました。ここで日本に居留する外国人たちが洋式競馬を行っています。さらに翌1862年には競馬施行体である横浜レース・クラブが居留外国人たちの手によって創設されました。これは日本で初めての競馬施行体です。1866年には江戸幕府も競馬場を建設しています。この競馬場は横濱競馬場(根岸競馬場)と呼ばれ、この競馬場が完成してからは、ここで盛んに洋式競馬が開催されるようになりました。ところで皆さんは歴史の授業で治外法権という言葉について習っていると思います。治外法権とは外国人がその居住する国の法律による拘束を受けないということで、幕末に徳川幕府が外国と結んだ条約にこの条項があり、当時の幕府は外国との関係上非常に不利な立場におかれていたわけですが、ちなみに競馬も治外法権に基づいていました。当時徳川幕府や明治政府は賭博禁止令を出していましたが、競馬はこうした賭博禁止令の影響を受けることはなく、馬券が発売されていました。日本における競馬の起源と、学校で習った歴史とが密接にリンクしていることがお分かりいただけたでしょうか。ちなみに横浜以外にも、同じく早くから外国人が多く住み始めた神戸居留地の近くにも競馬場が作られましたが、こちらは数年で廃止となっています。

2017/1/24 更新