日本の競馬の歴史2

皆さんはギャンブルが好きですか。ギャンブルに関しては好きな人と嫌いな人とに分かれるのではないでしょうか。考えてみれば私たちの暮らす日本には公営のギャンブルが幾つかあります。その中でも競馬は特に高い人気を誇っているのではないでしょうか。重賞レース等スタークラスの馬が出走し、獲得賞金も大きい著名なレースの開催となると、競馬場には多くの観衆が詰めかけ、レースは盛り上がります。トップクラスの馬や騎手には大きな人気が集まります。
ところで皆さんは日本での競馬の歴史についてご存知でしょうか。今日公営ギャンブルの代表格とも言える競馬ですが、日本におけるその由来や歴史については知らない、という人も少なくないことでしょう。そこで競馬ファンの人もそうでない人も、知っていて得する日本の競馬の歴史を紹介していきます。皆さんがこれをご覧になったあと、競馬に関していままで知らなかったものも見えてきて、また異なった見方で競馬が楽しめるかとも思います。
現在私たちが競馬と呼んでいるものはイギリスにその発祥を持つ洋式競馬です。この現在の日本競馬とも呼べる競馬のルーツは、江戸幕府によって建設された日本最初の恒常形の競馬場である根岸競馬場で、洋式競馬として盛んに行われるようになりました。それからこの根岸競馬場で行われた洋式競馬を模倣して、日本各地で競馬が行われるようになっていきました。日本人が競馬を運営するようになっていったのです。洋式競馬発祥の地であるイギリスでは競馬は貴族や上流社会の人々が楽しみたしなむスポーツ、娯楽でしたが、それと同じように当時の競馬は、政界や財界の要人、さらには軍や皇室、国賓等上流階級の人々のための催しとして行われていました。イギリスの競馬場がそうであったように、日本の競馬場も紳士淑女の社交場とされていました。しかし徳川幕府や明治政府が賭博を禁じていた関係で、こうした日本人運営の競馬では馬券の発売ができなかったため、経済的な理由もあって概ね明治30年代には全て廃れていってしまいました。ちなみに当時馬券の発売ができた競馬場は外国人運営の競馬場で、日本に住む外国人が日本の法令によって拘束されない、治外法権によって守られていました。ちなみに、この時期の競馬において競走馬として用いられた馬は現在のようなサラブレッドではなく、主に日本の在来種やその雑種であったそうです。馬に品種改良が加えられ、より速くそして競走に適したサラブレッドが登場するのはまだ先のことになります。これまたちなみに日本人によって最初に洋式競馬が運営されたケースが1870年に東京・九段の東京招魂社(現在の靖国神社)境内で行われた洋式競馬です。このときの主催者は兵部省でした。そもそも競馬の発展の歴史は、軍隊の発展と密接に関わっていますが、それをうかがわせるエピソードです。これ以降1897年まで、招魂社(靖国神社)の例大祭に際して競馬が開催されています。これを招魂社競馬と呼んでいます。