日本の競馬の歴史3

そもそも人類は古代から馬を競走させて楽しんできました。馬は農耕で使う家畜として使われるなど、人間の生活にも密接に関わってきました。競馬の発展の歴史が農耕と密接に関わっている一方、戦争とも深く関わってきたことはよく知られています。日本の競馬の歴史とて例外ではありません。明治政府を富国強兵政策を進め、軍隊の強化及び近代化を図ってきました。その成果が日清戦争・日露戦争における勝利だったもいえるわけですが同時にこれらの戦争は日本政府及び軍隊に大きな教訓を残しました。それは日本の軍馬が西欧諸国のそれに大きく劣っていたことです。それを痛感した政府は、内閣直属の馬政局という部門を設置して、馬匹の改良に着手しました。馬政局は早速研究に取り掛かり、優れた種馬を選抜、それを育成して質の高い馬を多数生産するとともに、馬の育成・馴致並びに飼養技術を高めていきました。具体的には馬体が大きくスピードがあり、かつ病気などにも強い品種を作り出していきました。さらに馬政局の行った政策はそれだけに止まりません。馬政局は国内における政府部門や民間の馬産事業を振興させようと考えました。その結果競馬という形の一種の業界内競争を取り入れ、優勝劣敗の原則を馬産に導入しようと考えました。そして馬券を発売して、産馬界に市場の資金を流入させる必要があるとして、馬券の発売を前提とした競馬の開催案をまとめ、内閣に提言しました。当時の法規では賭博行為は違法でしたが、競馬は軍馬育成の国策に適うとして、当時の内閣はこれを容認、馬券の発売をいわば黙許するというを1905年に通達し、これにより以前は外国人運営の競馬でしか行われていなかった馬券発売を伴う競馬の開催が、日本人運営の競馬でも可能となったわけです。